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小シヱスタリア

同人ゲームとか好きなただのファンサイト
ちょっとソースが思い出せない。タタルさんだったかしら、京極さんだったか…。それとも大学の授業だったか…?

地下旧地獄、冥界、天界、三途の川と幻想郷にはいくつものあの世がある。
しかし、否、だからなのか、どれだけの人が意識しているだろう。幻想郷もまた、死者の国であるというコトを。
八雲紫とスサノオの関係とも関連するのだけれど、根の国だよね。幻想郷。

外の世界で失われたもの、忘れられたものが幻想郷に取り込まれる。幻想入りなんて言葉でオブラっているけれど、これは要は広義の「死」に他ならない。
外の世界で絶滅したニッポニアニッポンが大量に棲息している、というのがまさにその証明であるし、一番個体数が多い種族が幽霊と妖精というのも象徴的。

ちょっとまて、霊夢や魔理沙が死人だって言うのか。と言うと、そうではない。
そもそも、根の国や黄泉というのは現代人が思い浮かべる「召された死者が逝く別の世界」ではない。
ムカシの人は今よりずっと死が身近だったのだ。
イザナギが死んだイザナミを追って黄泉比良坂を登っていったように、古の死者の国は坂の上にあった。坂の上、つまり「
そして其処は死んだ者の魂が召される地ではなく、生あるものが歩いていける地続きの場所だと言う事。
何故こういう死生観なのか?
答えは簡単、黄泉の国は現代人が考える空想の死後の世界ではなく実際に其処にあった場所だから。つまり、姥捨て山

医学知識などあってないような古代では社会で生きていけなくなった病人や怪我人、養えなくなった子供などは容赦無く山に棄てられた。
そして、山に棄てた人間はもうこの世には居ないものとして扱う、という厳格なルールが作られた。境界。

だが死に逝く者とされても、自ら死のうとはしないのが当然。山に棄てられた者たちは棄てられた者同士協力し合い、麓の「里の社会」とは別の「山の社会」が作られていった。
これが黄泉の国の正体。
山姥に育てられ山賊となった子供などはこうした背景から生まれ、鬼や天狗といった妖怪のルーツとなった。

こう意識すると記紀神話は違った側面が見えてくる。
「黄泉の国のイザナミ」は死んで黄泉の国に行った女ではなく、産後の肥立ちの悪さから病になり、夫に山に棄てられた女。
「荒神スサノオ」は死んだ母を求める狂った神ではなく、夫や娘たちに見捨てられた哀れな母をただ一人案じる息子。
ただ、現代人的感覚から観るとこのスサノオの思いは優しく良い息子に見えてしまうが、当時の価値観ではそれは異常なものであった。

東方に戻って
死や病のケガレを山に追いやって生きる里の価値観は、イザナギから脈々と受け継がれたものであり、月の民の基本的な価値観として描かれている。

この月人の地上人を見下した態度に反感を持っている人も多いと思う。
だが考えて欲しい、現代日本に生きる我々もまた死に寄り添って生きていない。月人と同じだと言う事。
ちなみに、私は月人の価値観が間違っているとは思わないけれどね。

いささか脱線したが、幻想郷が山の中の、人里とは異なる常識を持った世界と言うのは、黄泉の国のそれと共通するところと言って良いんじゃないだろうか。

常識の境界という結界によって外の世界と隔たれている幻想郷であるが、実は幻想郷自体が生の世界と死の世界の境界であるとも言える。
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